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ボニファチオ (モンフェラート侯) : ミニ英和和英辞書
ボニファチオ (モンフェラート侯)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,n-suf) marquis 2. lord 3. daimyo 

ボニファチオ (モンフェラート侯) : ウィキペディア日本語版
ボニファチオ (モンフェラート侯)[こう]

モンフェッラート侯ボニファーチョ(Bonifacio I del Monferrato、1150年頃 - 1207年)は第4回十字軍の指導者で、コンスタンティノープル攻略後、テッサロニキ王国を創設した。
ボニファーチョは、モンフェッラート侯ギヨーム5世とジュディッタ・ダウストリア(バーベンベルク家出身)の3男として生まれ、兄にギヨーム(ロングエペー)、モンフェッラート侯コンラート1世がいる。彼の父と兄2人は十字軍で活躍しており、兄ギヨームはエルサレム王女シビーユと結婚してボードゥアン5世の父となり、コンラートは第3回十字軍時にティルスの防衛に活躍し、シビーユの妹イザベルと結婚してエルサレム王になっている。
ボニファーチョも若いころから数々の冒険譚があり、彼のトゥルバドゥールによって戯曲化されている。フリードリヒ1世ハインリヒ6世に従い、ホーエンシュタウフェン朝のイタリア攻略に参加した。1193年に兄の跡を継いでモンフェッラート侯となり、1194年からシチリア遠征に参加する。
モンフェッラート家はヨーロッパ中の有力な家系と縁組をしており、フランスフィリップ2世神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世フィリップ兄弟は従兄弟にあたる。当時、ピエモントはオック語圏であり、その宮廷は宮廷詩人騎士道物語等、文化の中心として栄えた。
1201年第4回十字軍の指導者シャンパーニュ伯ティボー3世が亡くなった後、彼自身の軍歴とヨーロッパ王家との縁戚やエルサレム王国東ローマ帝国オリエントの事情に詳しいこと等から、新しい指導者に選ばれた。
同年のクリスマスに従兄弟のローマ王フィリップの元を訪れ、フィリップの義弟にあたる東ローマ帝国の亡命皇子アレクシオスと会っており、この時にコンスタンティノープル攻撃が計画されたと推定されている。
第4回十字軍はヴェネツィア共和国の思惑もあり、ハンガリー王国ザラを攻略した後、アレクシオスの要請に従ってコンスタンティノープルを攻略した。詳細は第4回十字軍参照。
1204年のコンスタンティノープル攻略後、イサキオス2世の未亡人となったハンガリー王ベーラ3世の娘マルギトと結婚し、ラテン帝国皇帝の最有力候補と見なされていたが、強力な皇帝を嫌うヴェネツィアの意向によりフランドル伯ボードゥアンが皇帝に選ばれた。ボニファーチョはボードゥアンと対立し、同年ギリシアでテッサロニキ王国を建国した。しかし1207年9月にブルガリア帝国カロヤンに急襲され、戦死。モンフェッラート侯国を先妻の子であり長男であるグッリェルモが、テッサロニキ王国はマルギトの子であり次男であるデメトリオが継いだ。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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